「ムーミンパパの思い出」はムーミンパパの出生の秘密から、スナフキンとスニフの父親と一緒に旅した大冒険の思いでをまとめたムーミン本です。
ムーミンシリーズでは珍しい「マイナスの感情と心の葛藤」が描写されている場面が印象的です。
ムーミン本はただの童話ではないな、と改めて感じます。
何かに悩んでいる方が参考になる「ムーミンパパの葛藤と心の成長」のシーンをご紹介しますね♪
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このページの目次
「ムーミンパパの思い出」とは
ムーミンパパ達が冒険の途中で立ち寄ったある島(国)で、ムーミンパパの良き理解者であり冒険の先導者「フレドリクソン」が王様のための発明家として雇われることになります。
冒険家として再び旅をしたいムーミンパパと、自分の夢が目の前に見えてきたフレドリクソンのやりとりを引用します。
「おなじところに住みついていたのでは、冒険家になれるもんか。あんたは冒険家になりたいんだろ、どうなの?」
すると、フレドリクソンは答えました。
「いや、ぼくは発明家になりたいんだ。空飛ぶ船を発明したいのさ」
「じゃ、ぼくはいったいどうなるの?」
と、わたし(ムーミンパパ)はいいましたが、
「きみはほかの連中と、あたらしい村づくりをしたらいいんじゃないのか。」
とフレドリクソンはやさしくいうなり、いってしまいました。
二人の間には壁ができ、ムーミンパパは何をしていいのか分からなくなってしまいます。
ムーミンパパの心の寂しさが分かる言葉とその感情
なぐさめてもらうためにミムラの家にでかけ、ムーミンパパの「心の寂しさ」が表れている言葉です。
「ぼくは知らないんだ。きっと、とんでもなくばかげたことじゃないかな。いっそニョロニョロといっしょになって、世界をさすらうほうがましだよ。砂漠のあらしか、うみわしみたいに、ひとりぼっちでさ」
新しい村づくりについて聞かれた回答ですが、村づくりが嫌なのではなくフレドリクソンと冒険ができなくなってしまった状況に苛立ってる様子が分かります。
ムーミン本の中でニョロニョロは「自由だけれど寂しい心」を表現していると感じますが、上の言葉ではさらに「砂漠のあらしか、うみわしみたいに、ひとりぼっちでさ」と一人を強調しているので激しい心の落ち込みが分かります。
投げやりになってる状態で、直接的にフレドリクソンをけなしている訳ではないですが、「なんで彼は僕との冒険を投げ出したんだ、、」という気持ちが沸き起こっていたと思います。
打ちのめされたフレドリクソンの言葉
なにもかもつまらなくなってしまったムーミンパパは心の拠り所としてもう一度フレドリクソンに合います。
「ねえ、フレドリクソン。自由人の冒険家はなにをやればいいんだろう?教えてくれないか。」
「やりたいことをやるのさ。」
とフレドリクソンは答えましたが、それから、
「なにかほかにも用があるのかい。ちょっとぼく、いそがしいんでね。」
と突き放されてしまいます。
ムーミンパパにとっては思いつめて相談にいったのに、さらに心はずたずたになってしまいました。
まとめ:心が成長するために必要なもの
ムーミンパパは、そのあと誰かの助言を受けたり大きなイベントが起きることはありませんでしたが、大事な一文が書かれています。
かなしいながらも、わたしの成長にとっては大きな意味のある、一週間がすぎていきました。
わたしはくぎをたたいては考え、のこぎりをひいては考えましたが、一度も頭の中でカチッという音はしませんでした。
ムーミンパパは何かひらめくときに「頭のなかでカチッという音」がします。
そのような「明確な答え」ではなく、自問自答を繰り返し自分の中で答えを出そうとし続けた一週間だったのです。
心がずたずたになった時、それを乗り越え成長するのに必要なのは【自分で考える時間】だと作者のトーベ・ヤンソンさんは言いたかったと思います。
ムーミン本は深い内容が多い童話ですが、このエピソード部分は特に大きな衝撃を受けた部分です。
少し心が疲れたと感じたときは、「ムーミンパパの思い出」オススメです♪